たれながしつうしん

内定0で就活を語る暴挙

121回目の就活をNNTで終えた話

就活で”失敗”して思うこと

 

周りが内定でて就活を終えていくなか思うこと

 

就活なめてたんだな。口下手じゃないし受かると思ってた。それに尽きる。

 

結果は内定0。

 

1晩泣いて、3日屍になって思った。

 

1つ友達や人に恵まれていること。

サークルの同期、高校の同期、大学の友達、ゼミの教授、サークルの先輩。

いろんな人に心配して励ましてもらった。

誰も内定0をあざ笑うようなやつはいなくて、ちょっと哀しいような気まずいような顔をして、それでもアドバイスをくれた。

こんなにいい人に囲まれていたことに今になって気づいた。

そしてそれだけの人間関係を作れた自分をすごいなと客観的に思った。

初めて自分に自信を持てた。やっと社会的価値観に縛られる必要はないんだと気づいた。

 

 

自分は友達思いで、人情深くて、責任感が強い一生懸命さ、が売りなんだといまになって気づいた。嘘がつけない不器用なやつだから、みんな腹をわって接してくれるんだと気づいた。

 

会社の人間関係は1つの目標に向かって、こういう思いやりある人たちと働きたい。

それを実現できるのは、金融でも商社でもないメーカーなんじゃないかと思った。

 

 

2つ、人生の岐路に明らかに立っていること。

就活を通じて自分の不器用さを感じた。やっぱり本心から取り組まなきゃ結果がでないやつなんだと。小手先ではうまくいきがちだから油断していた。お調子者だからなんとかなると思ってた。運が悪いだけだと思った。

 

そうじゃなかった。やっぱ真剣にならなきゃいけなかった。

 

自己分析は一貫性がなかった。自分のよさに自分で気づいてなかった。

志望動機は会社からみてビジョンがはっきりしたやつになってなかった。

 

そして価値観が変わった。

社会からどう思われるじゃなくて、自分がそこでどう楽しめるか。

運命を憂いるんじゃなくて、どう楽しむか。

 

受け入れ方を学んだんじゃなくて、考え方がかわった。

 

そして思う。

人生を本当に具体的に考えなきゃいけない時に来ている。

10年後どうなりたいのか。具体的に考えなきゃいけない。

他の奴らを本当にすごいと思っている。そこまでのビジョンが今のいままで描けなかった。漠然と大企業で働きやすい環境で、物をうって社会貢献したいと思っていた。

 

そうじゃなくて自分が何をしたいのか、どうなりたいかを考えなきゃいけない。

あんまこういうことを言いたくないけど、神様に与えられたチャンスだ。

 

多分あのまま第1志望の会社に入ってたらこんなこと考えることもなかった。

所詮与えられた職を全うするだけだと思ってた。

 

いま内定0で取り残されて、考えなきゃいけない場面に来てる。

日本をよりよくするってなんなのか。物を売るってなんなのか。

 

考えな。考えな

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

11.音楽についての話

GWが終わりました。5月も半分終わりそう。

 
 
他の人は(生保とか?)GW中も忙しいのか、就活してるひとちらほらいて、ほーんと思ってました。
 
 
一方僕は、会社説明会に2件いっただけで、5/3から5/8までほぼフリー。麻雀2回できて楽しかったまる ぐらいの感想でした。
 
 
また就活始まるものの今週の木曜日以降は予定なんもなし。いきなり入るの怖い。これから電話かかってきて6/1以降の予定入るんだろうなと。御社は寝てる時に電話かけてくんの止めような。昼過ぎまで爆睡かましてるおれも悪いけど。誰に訪問するかメモしてあるけど読めない。。。どうしょ。。
 
 
そんなこんなで今日は音楽について思ったことでも、つらつらと。毎回就活について書いてもしょうがないので。
 
 
僕は音楽についてはかなりの乱読ならぬ乱聴を好む。基本好きなアーティストってあんまいなくて、この人ならこのシングルって感じで聞きます。東京五輪音頭からI WANT YOU BACKから女子校戦争まで色々。
 
 
高校時代いろんなJ-ROCKがはやってたんだけど、全然聞いてなかった。やっぱ歌詞が浮いてるなあって何聞いても単純な日本語でも印象残んないし、何より頭悪そうだから聞きたくないのが強かった。愛、恋、夢。これに関することで終わり。そうだね。すごいね。しか感想が湧かない。
 
 
当時音楽聴きながら勉強するのが好きで。主にアイドルソングとアニソンを。。。おいてめーさんざんJ-ROCK、disっといてそれはなんなんだと思われるだろう。言い訳させてもらうと、J-ROCKってやっぱ音楽のなかでも歌詞に重きをおいてるはずなのに軽く聞こえるところがあったんですね。それにくらべてアイドルソングとアニソンは歌詞どうでもいいってか、メロディ重視だな、と。もう歌詞なんてメッセージはなくてリズムの一種だから別になんでもいい感がある。それでそっちも聴いてました。同じ歌詞ならリズムで、と。あれまたdisってね。。ちなみ音楽センスは皆無の家系で、幼少期のピアノでなんとかカラオケは持ちこたえてます。音楽を語る申し訳なさ。
 
 
大学入るとカラオケ行く機会も増えたので、普通のJ-ROCKも聞くようにはなりました。ちなみに。
 
 
音楽をCDで聴く文化が終わりつつある。アメリカでは音楽を無料でストリーミング再生することが音楽を聴くことを意味するようになり、よく言う魚の骨問題ではないが、CDを知らない子供が増えつつあるのだとか。
 
 
こうなると音楽をビジネスとすることには付加価値が必要になる。その音楽が優秀でも買うインセンティブが起きるかどうかは別のところに置かれつつある。総選挙しかり。あのビジネスこれからどうなるのだろう。
 
 
今は音楽アプリを無料期間で色々試しているが、便利80不便20といったところだとおもう。
 
まずいい点は、TSUTAYAとかで借りてきて取り込む手間がないこと。シングル単位で聞けること。乱聴派には嬉しい。
悪い点は学生にとっては割高。そしてそのアプリが全部のアーティストを網羅してるわけではないこと。おそらくレコーディング会社の関係。
でも社会人になったらぼくは音楽アプリを有料で入れるとおもう。時間を月1000円で買えるなら安いものだ。
 
 
ぼくの周りがどうやって聞いてるか知らないけど、おそらくアプリ利用派は少ない。音楽の市場ってよくわからないんだけど、中高大学生20代前半までがメインターゲットじゃなかろうか。そうすると割高な月額使用料が明らかにネックだ。携帯を契約すると始めいろんなアプリを入れさせられるけど、その延長で初期費用高めのアプリを入れてしまえば、普及率も広まると思う。
 
あとは音楽に加えてpvとか番組とかまぜてyoutubeみたいな一大コンテンツを作ればいいと思うんだけど、権益で難しそう。
 
 
 
 
 

10.自分語りをしている気持ち悪い話

今日はプチ病み(闇)である。

 

珍しく「なにを書こう」とか思って書こうとしていないので、なに言ってるかわからないと思うし、なによりなにも伝わらない点ご了承願いたい。きょうは完全に日記だし、確実に闇(掘り返したくない過去)となること間違いない。結論もない。長い。

でもそれも含めて自分だと思う。

 

 

話は長い自分語りから始まる。

 

 

昔から、「頭がいい」ということに憧れて生きてきた。好きになるキャラクターは策士的なキャラだったし、一番好きな打順は2番だった。

 

 

ひとえに「君は頭がいい」という周りの言葉を信じて生きてきた、純粋な、わたし。

 

 

転機が訪れたのは中学受験。「頭がいい」ぼくは某中学受験塾でも最上位のクラスに所属し第1志望を目指して勉強していたが不合格。第2志望か残念だなとおもったら、そこも不合格。第3志望校に入学することになる。

 

劣等感を持ち中学に入学するが、まわりもそういう風に第1志望でなかった子が多く次第に薄れていき、部活に打ち込んだこともあり忘れていた。

 

学力は少し定期試験前は勉強して、学年で上位10%くらいだった。第3志望で入った学校だしまあたいして勉強しなくてもこれくらいはいけるなとは正直おもってた。

 

大学受験。リベンジを果たすため某赤門に挑戦。部活引退して学力がぐんぐん伸びて成績が伸びる。これはいける。主人公やんおれ。と。

 

しかしここも不合格。

胃が痛かった。よく寝ていなかったから不機嫌だったし。精神的に参って、心が折れた。

あんなに努力しても報われないことがあるのか。

失意の末浪人を考えるものの金銭的な理由をちらつかされ断念。(ここは真偽が不確かである。確かに言われたと思うんだけど、自分の中で理由を探すために捏造した可能性も大いにあるが真相は闇の中)

 

大学入学後6月まで、ほんとに寝て過ごす。薄れていく大学受験の知識。もう仮面浪人なんてダサいことはしてはいけない。その1点で忘れていく、戻れない道を走る自分を正当化する日々だった。そして感じたくない「自分は選ばれた人ではない。主人公ではない凡人。社会にどこでもいるようなパーツにすぎないCPU感」

 

大学入学後サークルとバイトに打ち込んで思考停止をする。やはり自分は「頭がいい」わけではないことを考えたくなかったんだと思う。

 

そして就職期。改めて思う。直面せざるをえない。

 

自分はなにが持ち味なんだろうと。なんもないのだ。

 

ぼくは自分の中でアピールできることがないことに気づいてしまった。

 

 

世間的に学歴的には申し分なく「頭がいい」ぼく。

しかしそれは目指す「頭がいい」では到底ないことに気づいている。

相対的には頭がいいだろう。頭がいいとは情報処理が早いとかそういうことだ。

でもぼくが目指していた「頭がいい」。認められたかった「頭の良さ」はそうではなかった。なんでも1度聞いたら真理がわかり、それを嫌味なく伝えられる人。要領よくなんでもこなし、なんでも知っていて、純粋なやつ。これがぼくの考える主人公だった。

 

相対的な「頭のよさ」をアピールすることの脆さをよくわかっている。

自分の「頭のよさ」を説明できないのだ。他人と比較してでしか。

潜在的に自分が頭いいと思ったことがないからかもしれない。

相手がいないと自らを規定できない。自分の情報処理能力は凡人のそれ。

なんて弱いしみっともないのだろう。

 

 

私立文系の就職の怖さを身をもって体感する日々。

勉強してきた人は研究を語る。ある人は私立文系を馬鹿にする。

彼らはおれらが勉強していた時間、楽に遊んでいただけじゃないかと。一理ある。

ぼくは勉強していることは素直にすごいと思う。でもだから僕たちがアピールできることがないがゆえ馬鹿にされるのは間違っていると思う。

ぼくは学術的な道を極めない以上、その研究はある程度の素養があれば誰でもできたものだと思うからだ。もちろんその人の努力や発想を馬鹿にしているわけではない。

うーん。なんて伝えればわかりやすいんだろう。

簡単に言うと、研究をしたから君たちは「頭がいい」というのは大いに間違っていると思うのだ。研究はその内容の難解さを評価されているんじゃない。どう課題にアプローチしたかを見るはずなのに、往々にして面接で内容を聞かれるからそこで馬鹿にしてくる人がたまーにいくるから少し腹が立っているだけだ。

 

話を戻すと、

 

よく世間の大人はいうのだ「いつから君は自分が主人公でないと悟ったのか」

絶対そんな大人にはなりたくなかった。でも確実にそっち側の世界に侵食されつつあり、心の中で発狂する、ぼく。世間でまぎれもなく大多数を占めるのは凡人だ。

そしてそれを統べるのは天才を気取った凡人。そして真の天才は絶対的な評価をもとにそんなことは気にせず生きている。顔本でアピールしなくても、有名な会社に入らなくても、かわいい奥さんに恵まれなくても、天才は天才なのだ。

 

凡人の世界に侵食された人間は、天才に憧れていたことを侵食されて忘れていく。世間的に認められているからいいじゃないか。とでもいうように。

 

 

そんな人なりたくないとぼくはそれでも思い続ける。

でも就職活動自体そんなやつらの選別作業だ。

その枠にとらわれて、もがく以上君の目指す天才にはなれないんじゃないという声が聞こえてきそうだ。そうだと思う。

 

思えば自分の評価はほんとに相対的なもので構成されていたのだ。

彼よりタイムが早かった、彼女よりテストの点数がよかった。彼より顔が格好よくない。

絶対的な評価で生きていることが元から無いのに、それを求めるぼく。

 

ジレンマの間で自らが凡人の沼に引っ張られていくことを感じる。

認めなきゃいけないんだよ。そういう言葉も聞こえて来る。

認めたくない。どうすればいいんだろう。なにがぼくの強みなんだろう。

自分の社会における存在価値なんてなんなのだろう。

 

 

もう答えはでているのだ。自らに相対的な評価をつけるしかないのだ。境遇、星の下。それでも嫌がるぼくの心理。手がつけられない。相対的な評価の中で、あなたの強みを言えばいいのに、その嘘すらつけない不器用な自分にうんざりする。

 

ぼくは純粋が故にたくさん傷ついてきた。絶対を追い求めて、相対的な評価で生きる、社会的に見れば賢い人に、諭され、馬鹿にされ、傷ついてきた。それゆえ人より捻くれるという方法でしか自己防衛できなかったと思う。けれどそのぶん弱さと向き合って生きてきた。そう思う。

 

凡人はいつまでたっても凡人なのだ。僕の追い求める絶対的なものは、先天的なものが大きい。けれどそれを受け入れたくはない。そういう限界が君にはあると他者に決めつけられたくない。

  

就職してもこのマインドを忘れることなく生きていきたいと、本当に思っている。絶対的評価を自分の中で得られる日は永遠にこない気もするけれど。

 

 

凡人でも憧れは一生無くさないで生きていきたい。沼に入ったことすら忘れないように。

 

 

何の話だかわからんまま、ここまで読んだあなたに感謝の言葉と、お前暇だなっていう憐れみを。

 

 

 

 

 

9.献血行った時の話

 

Q山手線の駅番号1番の駅はどこでしょうか

 

 

 

こんなこともわかるくらいには無駄知識に溢れている。

 

中学受験をしました。落ちたけど西日暮里にあるあの学校に行きたくてしょうがなかったんだね。12の冬。

 

その学校は西からくるやつらを受からせないように、東京問題を社会で出していました。今でも覚えてるからよっぽどだと思うんだけど、過去問にこういうのがありました。

 

 

Q大江戸線都庁前駅に行くには、◯◯駅から1番線と2番線どちらに乗ればいいでしょう

 

 

 

とかいう問題でした。今から考えても狂ってる。答えは「どちらでもいい」です。わかるか。ナビタイム先生で十分じゃはげ。

 

その延長で山手線27駅全てを覚えることになったわけだ。

 

ちなみに僕の年は学校から見える山はどれでしょう。という東京問題もクソもなくて答えは筑波山でした。

 

そんなことを覚えた結果就活で生かされるっていう。ハイキングウォーキングできるな。コーラが辛すぎるけど。一発芸にしよう。

 

 

 

 

 

そんなこんなで4月の就活が全て終了しました。お疲れさまでした。

5月が始まりました。いらっしゃいませ。

 

 

4月は説明会より座談会だらけで、選考を受けたのが4社。うち2社はおちますた。

 

はよ終われしか感情がわかない。なんだリクラブとか言い出したやつ。そんな気配微塵もないぞ。まあリクラブできる人は別に就活っていう場があろうとなかろうとナンパしてるんやろうな、と。

 

 

 

5月。世間はGW。ぼくにも束の間のGW。なんもない。久しぶりに献血にでも行ってやろうか。

 

さて献血行ったことあるだろうか。ぼくは2年前の春先3月に行ってみました。

 

あの日は確か暇すぎて新宿の古本屋で漫画を読んでいた。「べしゃり暮らし」とか「咲」とか「インベスターZ」とかよんで、まあ楽しいわけだ。

 

でも足が痛くなる。怠惰な生活を続けていたから、久しぶりの生きている実感。

それと同時に虚無感。ああこの時間なんの役にも立ってないんだなと。

 

おれは社会のゴミになっているんだなあと漫画も頭に入らなくなってきたので、その上の献血へ行ってみることに。こんなやつの血でも欲しければどうぞと。AB型だし希少種だよね。

 

 

通されたのは広いラウンジ。長い説明の後に採血をした。

 

 

 

 

 

「あーあなた本当にAB型ですか?」

「え」

「どうみてもB型なんですよね」

「先生ぼくって本当に両親の子なんでしょうか←てんぱる(母親に似てなさすぎて1パーセントくらい疑ってた)」

「わたし生物苦手なんでわからないです・・・」

「」

 

 

落ち着いて考えれば父親がA母親がABなのでありえました。全然。

 

 

なんでも赤ちゃんの血の検査って適当だから、稀にこういうことがよくあるらしい。

 

稀によくあるって言葉が好き。

 

んで採血。初心者は200からやりたかったんだけど、閉館?閉店?間近で400しかなかったから、とりあえずそれで。硬め濃いめで、ライスお願いします。

 

 

 

「気持ち悪くなったら手をあげてくださいね〜」

 

(テレビあるけど、ニュース頭に入ってこないし、なんか緊張すんなあ、やっぱチクチクする)

 

(あーぼーっとしてきた)「すいm」

「はい!?どうしましたか(看護師わらわら集まる)」

「頭下げますね〜大丈夫ですよ〜」

「意識ありますか??意識ありますか??」

(こっ怖い怖い)

 

 

終わった後すげー謝られた。ジュースしこたまもらって帰ってきた。

 

やるとわかるんだけどその日は風邪ひいたみたいに、体がいちにちだるい。

帰りの電車も座らなきゃやってらんないくらい。

 

翌日も体重いなーくらいで。その翌々日に戻った。

 

 

まあ献血やってみて楽しかった。みなさんも知ってるだけじゃなくやることって楽しいからおすすめします

 

 

 

なんのはなしやねん。

 

 

 

 

(答えは大崎駅でした。 )

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

8.顔選考を分析してみた話

4月も中旬。来月も面接始まってねーと思うと気が滅入る。今月の給料は7千円でした。すくねーけど今の時期にはでかい。

 
 
だいぶあったかくなってきて、リクスーでちょうどいい季節。経団連が夏の暑さを考慮して戻したとか言ってたけど、梅雨あるかんな?12月開始に戻してもさみーかんな?気候を理由にすんな?
 
 
経団連の規定とかなくせばいいと思ってる派だ。なんで一斉解禁なのかわからん。青田買いとか学業どうこういってんのも全然理由にならないと思う。
 
 
別に個人的に早い内定で終わらせたいやつは終わらせればいいし、早くやらないと優秀な学生をとれないのその企業の魅力の問題だと思う。今だって意識高いやつは外資の内定で終わってるわけだし、日系の日程欲しいやつは青田買いされようと続けるだろう。
 
 
学業だって配慮すんなら休み期間中にだけ面接やれよって。6/1を一斉休講とかやればいいのにそれすら無理でしょ。
 
 
さらに6/1に解禁するせいで、6/1に複数の面接取り合いになってまともに数受けれない。せいぜい3社×5日で15社が限界だ。
 
 
いまの就活一斉解禁って学生に配慮してることなんもないと思う。少なくとも感じたことがない。はよ面接やろーよって。
 
 
こんなことを話したいわけじゃないんだ。今回。
 
 
今回は顔選考にロジックをつけたい。
 
 
顔選考の定義はしなくていいと思うけど、少なくともイメージはマイナス、悪だ。
 
 
人間生まれ持ったものにケチをつけてはいけないというモラルがある。顔が不細工なのは本人が望んだことじゃないし、それで人生決まるのは以ての外、平等じゃない、と。わからなくはない。
 
 
まあイケメンでは全然ない僕からするとまあありがたい話だけど、もしこれにロジックがつけば顔選考も正当性がつくんじゃないかと思ってみた。
 
 
座談会で、「人は見た目が9割という本がありましたけど、そうでないにしろ、自分の財力でできるだけいい格好をすることがお客様には必要です。」と言ってた社員がいた。至極まっとうだし当たり前だと思う。
 
 
見た目って魅力なのだ。たしかにイケメン、可愛い子は何も努力せず生まれながらに優位だろう。でも彼らがなんもやってないはずはない。ちゃんと見せ方を考えてる。なんでかって優位なのって普段は劣位かもしれないからだ。友達が言ってた話だけど、「(共通の女友達)と歩いてると、歩いてるだけであいつ可愛いから道行く男がチラ見するのが隣歩いててわかる。絶対普段から大変だと思う」イケメン大学生もしかりなんだろう、と。もちろん目線を集めんのっていいことかもしれないけど、少なくとも自分なら気持ち悪い。見せ方を考える機会が多かったことで、その気持ち悪さを彼ら、彼女らは生活の中で乗り越えてきている。
 
 
あといくら不細工だろうと見せ方はある。清潔感、元気な声。こんなんで差別化図れるならやるべきだ。やらないと人生終了だと思えば、恥ずかしがったり、諦めたりする暇はない。
 
 
顔選考って女の子に言われることが多いかなあとは思う。男ってそういうとこあるし、しょうがない(実体験)。
 
 
実は顔選考は男に言われることが強いかもと最近思う。しかも男気づいてなくね??って。どういうことかと言うと、同性から見て可愛い、かっこいいってあんま意識しないことだと思う。少なくとも生粋男子校生から言わせると男はそうだ。でも女の子ってそもそも一般職があるように同じ性別の中で優位性を競うところがあると思う。だから今までは女の子らしさっていう面で可愛さって重要な目線だったと思う。一応もちろんジェンダー論者に喧嘩を売りたいとは毛頭思ってないことを注釈にする。こめじるし。
 
 
ところが総合職が女子も増えてくるにつれて、(最も昨今の話ではないのだが、その潮流に乗った人々が人事担当の重役になり始めて)男子にもそういう目線が流入してるんじゃないかと思うのだ。ちなみに実感ではないので説得力に欠けるかも。女子は今まで同性の中で競ってきました。それは時に可愛さとか顔で分かれることもありました。じゃあ男にもそういう目線必要ですよね、当たり前ですよね的な。憶測かもね。うん。
 
 
で両性にそういう動きが出るとどうなるのか。見た目の優劣が最低チェック項目にランクインするのだ。しかも男はそういう判定をされてきたことが恋愛でしかなかったから、就活でそうなるなんて思ってもない人って多いと思う。
 
 
なんかロジックとか大層言っといて、さしてロジカルでもない気がするけど、言いたいこと伝わってほしい。もちろん顔選考を避けるため同性の面接官を当てる動きもあるだろうけど、良くも悪くも男女平等になったからそういう目線ってあるのかなあと思ってみたり。
 
 
じゃあ男子って見た目どうしようと考えた。
私は残念ながらイケメンではなく、しかもニキビにアトピーときているので、どうしようかなあ、と。
 
 
男子も化粧しようという人には賛同できなくて、とりあえず顔面補正してもらうために某百貨店でプロにとってもらって、現代版プリクラで顔をいじった。さすが、ほっぺたつるんつるんだし、すげーなー高い金を払っただけあったなあ、と。
 
 
そして髪を短く切った。気のせいだよね、電車で俺の顔を見る人増えたよね。。。知ってる。やっぱ切りすぎたわ。。前髪整ってねえよな。。てか前髪どこいった。。。
 
 
そんなことを思いながら帰宅。就活はモチベの高いうちにこなすのが吉だ。さてやろう。
 
 

7.「就活あるある」について

就活あるあるにハマってる。

 
 
仲のいい友達との話題で流行ってて、毎回大賞を決める。
 
 
第一回は「めっちゃウェイ系BtoC企業の説明会で一番前でうんうん頷いてるメガネ大丈夫か問題」
 
 
第二回は「エレベーターで押して多くの人が降りるの待ってボタン押してるやつに、はっきり敬礼してありがとうございますとか言ってるやつ普段絶対やってない問題」
 
 
そんで今回ノミネートしたいのはこちら。
「座談会でやりがいとか他社との違い聞くやつ大丈夫か問題」
 
 
仕事のやりがいって聞いてどうするんだろうか。何のために聞いているのか。
 
 
例えば実際就業した時のイメージがしやすくなるってことはあるだろう。自分もこういうやりがいを持って仕事できるな。と
 
 
でも自分もそのやりがいを感じられるのだろうか。例えばラーメン屋行ってあそこ美味しいって言う人のこと一辺倒に信じるのだろうか。僕だったらまずその人の味の好みを聞く。友達ならあいつは濃いのが好きとか分かるけど、初対面の社員の性格なんてわかりっこない。ましてラーメン屋だったら食べてみて不味かったら次は行かなきゃいいけど、就職に次はない。
 
 
「私はお客様のためになっていると〜なんちゃら」ってのはその人としていいと思う。国のために働いているという実感ありますかって政府系金融である就活生が聞いてて、それに対して社員顔合わせて苦笑するってよりは100倍いいと思う。なんだその苦笑、バカにしとんのか。
 
 
後はやりがいってそもそもなんだろうと個人的には思う。たぶん仕事の楽しさをやりがいだと言ってるんだろう。たぶん。でも自分の活動で例えば受験という辛い出来事に対する支えは楽しさでは全然なかった。人生かかってるという脅迫観念と周りに迷惑かけない様にというモラルだった。仕事だってやりがいとか楽しさとか辛さみたいな感情抜きにして家族に迷惑かけるわけにはいかないとかそういう恐れみたいなので働くと思う。だからやりがいっていうより周りが優秀な人でいてほしいっていう辛さ緩和みたいなところに仕事をやるモチベは置かれるはずだと、個人的には思う。
 
 
 
他社との違い聞く奴もよく見る。聞き方次第だとは思うけど座談会で何十回と聞いてきた。
それに対して返すのは「私は他社で働いたことがないからわからないんですけど〜」から始まる文言。話逸れるけど日本人ってこういう前置きに本音含めがちだと思う。「こちらにも記載しておりますが〜(さっき説明したぞクソ)」とか。
 
 
就活は企業を選ぶ視点だから当然学生はそういう気持ちを持つだろう。だけど、自分が質問受けるときそういう気持ちになるってことを考えられてないのって単純に怖い。
 
 
質問って自分で答えを作っといて、それとのマッチングを測る形でするもんだと思う。僕はこうおもってるけど現場は80パーくらいこの気持ちだなあみたいに。だから他社との違い聞きたいなら、あなたの会社はこういうところが強いですよね?って聞くべきだと思うし、他社にも同じ様に聞いてすり合わせて初めて違いになるはずだ。
 
 
だから質問って本当に疑問をぶつけてたら意味ないと思う。それって質問じゃなくて理解しようとする意欲不足だ。まず仮説を考えて常に仮説に情報を入れて実態をつかむのが質問だ。
 
 
 
余談だが本当はこの記事を書こうか迷ったのだ。だって明らかにこんなことに気づく俺すげー、あいつやべーに捉えられるし、これで俺が就活失敗したら恥ずかしいなあ、と。
 
 
でも不満言わなきゃやってらんないのだ。こんだけ同年代の、友達でもない大学生と接する機会ってないから、そりゃイライラしたりもする訳で。
 
 
でもそれがビジネスなんだろうなあ、と。不特定多数の他社との関係構築。まあビジネスなら金が発生する以上周囲の迷惑料も込みだけど、今の就活はいかんせん個人プレー前の集団プレー段階だから迷惑被るの解せねえなあ。
 
 
単純にイライラしすぎじゃねって思う人はその通りだ。
 
 
いま欲しいもの、ホスピタリティ。
 
 
 

6.文系学部卒の就活を分析してみた話

3月が終わろうとして、いよいよ4年生。

 
 
うっすら暖かくて、ああロータリーにコート着なくて耐えられる季節になったなってなるのも3度目。これで最後かあ
 
 
4年生になったっつーより、就活2ヶ月目ってことの方がでかい。短期決戦でよかったと心底思う。急に発表したせいで、意識高いやつと企業対応できてなくて、少し出遅れた僕にも優しい設計なのありがたい。こんな生活はやく終わって欲しい。
 
 
 
わい(説明会あきたんご)
友達(大好きな自分語りがすぐできるようになるよ、よかったネ)
わい(ふぁっきゅー)
 
 
そうなのだ。はやく面接始まって欲しい。
 
 
これは先輩とも話したことなんだけど、面接は能力面接→適正面接に分かれてる。
 
 
能力面接ってのはうちの企業でやってける素地があるか、クソコミュ障じゃないかのチェック。その後にうちの企業の雰囲気と合うかって話になる(らしい)。相性を見る人によってその人の企業に向いている人が違うから、これが俗に言う縁なんだね。きっと。あとはキャラが偏りすぎないように真面目な人多すぎるから君不合格(定員オーバー)って意味の縁もあるらしい。
 
 
例えばクソゴリゴリのソルジャー求める企業に東大のクソ仕事できそうなやつなんていらないのだ。わかりやすい例で言えば。
 
 
たぶんそれほどはっきりわからなくても、微妙な相性の違いで合格不合格分かれる。こいつちよっと偉そうかも。こいつはちよっと大人しくて話つまんないかも。そんなもんで決まるのだ。
 
 
でもこんな相性面接を僕は楽しみにしている。自分の相性ってわからないから、そこがはっきりするだけでも就活の価値ってあると思うのだ。もちろん裏には学歴でESは適当に書いても面接通る、とか能力面接で落ちたらそれは企業がクソだと思う(ほどの厄介な自信の持ち主)ってのがあるんだけど。
 
 
自分って自分自身が一番近くで見てきたぶん、多面的でつかみどころがない。そんな30数個のテストで判明するほど単純じゃないって、みんな思うはず。それがわかるのが他者によって、お前みたいなやつたくさんいるから採用ってなる適当さが、ギャンブル的でゾクゾクする。
 
 
だから3ヶ月後僕があるメガ銀行に入社を決めていたら、あああいつは人間的に相性がどこも合わないやつなんだ、口だけでけーかわいそーなやつだと思ってくれていい。だけど口にはださなくていいよ凹むから。まあ麻雀だってパチンコだって負けても死にはしないんだから、このギャンブルだって負ける覚悟はあるのだ。それでもバカヅキじゃなくていいから、身の程微+な企業から内定をもらいたい。
 
 
理系で研究が仕事になる人とか文系で言えば教員になる人っていうのは、その人の過去に焦点絞って面接するから、サボってきた人には辛いけれども努力してきた人には優しい世界だと思う。そりゃ研究内容生かす仕事なんだから当然だ。ある種点数勝負の受験に近いフェアな勝負だと思う。(間違ってたらごめんなさい、もちろん相性もあるけど、度合いが小さいって話)
 
 
だけど特に私立文系の営業とかを目指す就活ってそうじゃない。君の過去も大事だけどそれ以上に未来が大事。何をやってきたか、じゃなくて何をできるようになりたいのか、何をしたいのか。もちろんある程度過去とリンクして語る必要はあるけど、それだけじゃない。それが熱意って形で評価される、ある意味フェアじゃない世界だ。
 
 
でもその就活スタイル、嫌いではない。対人関係の仕事の前では過去なんてどうでもいいから、そういう発想の採用するのは至極真っ当だからだ。もちろん平たく言ってしまえば、総合的人間力試験で、落ちると人生否定されてる気にもなるけど、たぶん仕事ってそのくらい理不尽だ。
 
 
今度教員になる人がいたら伝えたい。別にそういうギャンブルを選ぶことは偉くない。仕事の違いだし。だけど そういうギャンブルをしていること、君の教え子にもそれが訪れることは知っていて欲しい。んで伝えて欲しい。何よりそのギャンブルした人、教員にはならないからね。
 
 
 
ポエマーになっているようだけど、伝えたいことはそうじゃなくて、就活ってこうも考えられるよねって気づき。こういう真意を探る考え方しがち。楽しい。
 
 
 
 
 
ここまで書いたから気づく人いると思うけど、基本ある就活生がいて、その人の志望業界訪ねた時相性的になんもマッチしてなかったら、基本そいつやっぱなんも考えてねーし、わかってねーなって思ってる節ある。自分がわからねーやつマトモな仕事できるはずないっしょ。
 
 
今までそう思った人皆無だけど(いるけど
 
 
 
おめーがそうじゃねーかって思ってる人は早急に他己分析送ってください まる