121回目の就活をNNTで終えた話
就活で”失敗”して思うこと
周りが内定でて就活を終えていくなか思うこと
就活なめてたんだな。口下手じゃないし受かると思ってた。それに尽きる。
結果は内定0。
1晩泣いて、3日屍になって思った。
1つ友達や人に恵まれていること。
サークルの同期、高校の同期、大学の友達、ゼミの教授、サークルの先輩。
いろんな人に心配して励ましてもらった。
誰も内定0をあざ笑うようなやつはいなくて、ちょっと哀しいような気まずいような顔をして、それでもアドバイスをくれた。
こんなにいい人に囲まれていたことに今になって気づいた。
そしてそれだけの人間関係を作れた自分をすごいなと客観的に思った。
初めて自分に自信を持てた。やっと社会的価値観に縛られる必要はないんだと気づいた。
自分は友達思いで、人情深くて、責任感が強い一生懸命さ、が売りなんだといまになって気づいた。嘘がつけない不器用なやつだから、みんな腹をわって接してくれるんだと気づいた。
会社の人間関係は1つの目標に向かって、こういう思いやりある人たちと働きたい。
それを実現できるのは、金融でも商社でもないメーカーなんじゃないかと思った。
2つ、人生の岐路に明らかに立っていること。
就活を通じて自分の不器用さを感じた。やっぱり本心から取り組まなきゃ結果がでないやつなんだと。小手先ではうまくいきがちだから油断していた。お調子者だからなんとかなると思ってた。運が悪いだけだと思った。
そうじゃなかった。やっぱ真剣にならなきゃいけなかった。
自己分析は一貫性がなかった。自分のよさに自分で気づいてなかった。
志望動機は会社からみてビジョンがはっきりしたやつになってなかった。
そして価値観が変わった。
社会からどう思われるじゃなくて、自分がそこでどう楽しめるか。
運命を憂いるんじゃなくて、どう楽しむか。
受け入れ方を学んだんじゃなくて、考え方がかわった。
そして思う。
人生を本当に具体的に考えなきゃいけない時に来ている。
10年後どうなりたいのか。具体的に考えなきゃいけない。
他の奴らを本当にすごいと思っている。そこまでのビジョンが今のいままで描けなかった。漠然と大企業で働きやすい環境で、物をうって社会貢献したいと思っていた。
そうじゃなくて自分が何をしたいのか、どうなりたいかを考えなきゃいけない。
あんまこういうことを言いたくないけど、神様に与えられたチャンスだ。
多分あのまま第1志望の会社に入ってたらこんなこと考えることもなかった。
所詮与えられた職を全うするだけだと思ってた。
いま内定0で取り残されて、考えなきゃいけない場面に来てる。
日本をよりよくするってなんなのか。物を売るってなんなのか。
考えな。考えな
11.音楽についての話
GWが終わりました。5月も半分終わりそう。
10.自分語りをしている気持ち悪い話
今日はプチ病み(闇)である。
珍しく「なにを書こう」とか思って書こうとしていないので、なに言ってるかわからないと思うし、なによりなにも伝わらない点ご了承願いたい。きょうは完全に日記だし、確実に闇(掘り返したくない過去)となること間違いない。結論もない。長い。
でもそれも含めて自分だと思う。
話は長い自分語りから始まる。
昔から、「頭がいい」ということに憧れて生きてきた。好きになるキャラクターは策士的なキャラだったし、一番好きな打順は2番だった。
ひとえに「君は頭がいい」という周りの言葉を信じて生きてきた、純粋な、わたし。
転機が訪れたのは中学受験。「頭がいい」ぼくは某中学受験塾でも最上位のクラスに所属し第1志望を目指して勉強していたが不合格。第2志望か残念だなとおもったら、そこも不合格。第3志望校に入学することになる。
劣等感を持ち中学に入学するが、まわりもそういう風に第1志望でなかった子が多く次第に薄れていき、部活に打ち込んだこともあり忘れていた。
学力は少し定期試験前は勉強して、学年で上位10%くらいだった。第3志望で入った学校だしまあたいして勉強しなくてもこれくらいはいけるなとは正直おもってた。
大学受験。リベンジを果たすため某赤門に挑戦。部活引退して学力がぐんぐん伸びて成績が伸びる。これはいける。主人公やんおれ。と。
しかしここも不合格。
胃が痛かった。よく寝ていなかったから不機嫌だったし。精神的に参って、心が折れた。
あんなに努力しても報われないことがあるのか。
失意の末浪人を考えるものの金銭的な理由をちらつかされ断念。(ここは真偽が不確かである。確かに言われたと思うんだけど、自分の中で理由を探すために捏造した可能性も大いにあるが真相は闇の中)
大学入学後6月まで、ほんとに寝て過ごす。薄れていく大学受験の知識。もう仮面浪人なんてダサいことはしてはいけない。その1点で忘れていく、戻れない道を走る自分を正当化する日々だった。そして感じたくない「自分は選ばれた人ではない。主人公ではない凡人。社会にどこでもいるようなパーツにすぎないCPU感」
大学入学後サークルとバイトに打ち込んで思考停止をする。やはり自分は「頭がいい」わけではないことを考えたくなかったんだと思う。
そして就職期。改めて思う。直面せざるをえない。
自分はなにが持ち味なんだろうと。なんもないのだ。
ぼくは自分の中でアピールできることがないことに気づいてしまった。
世間的に学歴的には申し分なく「頭がいい」ぼく。
しかしそれは目指す「頭がいい」では到底ないことに気づいている。
相対的には頭がいいだろう。頭がいいとは情報処理が早いとかそういうことだ。
でもぼくが目指していた「頭がいい」。認められたかった「頭の良さ」はそうではなかった。なんでも1度聞いたら真理がわかり、それを嫌味なく伝えられる人。要領よくなんでもこなし、なんでも知っていて、純粋なやつ。これがぼくの考える主人公だった。
相対的な「頭のよさ」をアピールすることの脆さをよくわかっている。
自分の「頭のよさ」を説明できないのだ。他人と比較してでしか。
潜在的に自分が頭いいと思ったことがないからかもしれない。
相手がいないと自らを規定できない。自分の情報処理能力は凡人のそれ。
なんて弱いしみっともないのだろう。
私立文系の就職の怖さを身をもって体感する日々。
勉強してきた人は研究を語る。ある人は私立文系を馬鹿にする。
彼らはおれらが勉強していた時間、楽に遊んでいただけじゃないかと。一理ある。
ぼくは勉強していることは素直にすごいと思う。でもだから僕たちがアピールできることがないがゆえ馬鹿にされるのは間違っていると思う。
ぼくは学術的な道を極めない以上、その研究はある程度の素養があれば誰でもできたものだと思うからだ。もちろんその人の努力や発想を馬鹿にしているわけではない。
うーん。なんて伝えればわかりやすいんだろう。
簡単に言うと、研究をしたから君たちは「頭がいい」というのは大いに間違っていると思うのだ。研究はその内容の難解さを評価されているんじゃない。どう課題にアプローチしたかを見るはずなのに、往々にして面接で内容を聞かれるからそこで馬鹿にしてくる人がたまーにいくるから少し腹が立っているだけだ。
話を戻すと、
よく世間の大人はいうのだ「いつから君は自分が主人公でないと悟ったのか」
絶対そんな大人にはなりたくなかった。でも確実にそっち側の世界に侵食されつつあり、心の中で発狂する、ぼく。世間でまぎれもなく大多数を占めるのは凡人だ。
そしてそれを統べるのは天才を気取った凡人。そして真の天才は絶対的な評価をもとにそんなことは気にせず生きている。顔本でアピールしなくても、有名な会社に入らなくても、かわいい奥さんに恵まれなくても、天才は天才なのだ。
凡人の世界に侵食された人間は、天才に憧れていたことを侵食されて忘れていく。世間的に認められているからいいじゃないか。とでもいうように。
そんな人なりたくないとぼくはそれでも思い続ける。
でも就職活動自体そんなやつらの選別作業だ。
その枠にとらわれて、もがく以上君の目指す天才にはなれないんじゃないという声が聞こえてきそうだ。そうだと思う。
思えば自分の評価はほんとに相対的なもので構成されていたのだ。
彼よりタイムが早かった、彼女よりテストの点数がよかった。彼より顔が格好よくない。
絶対的な評価で生きていることが元から無いのに、それを求めるぼく。
ジレンマの間で自らが凡人の沼に引っ張られていくことを感じる。
認めなきゃいけないんだよ。そういう言葉も聞こえて来る。
認めたくない。どうすればいいんだろう。なにがぼくの強みなんだろう。
自分の社会における存在価値なんてなんなのだろう。
もう答えはでているのだ。自らに相対的な評価をつけるしかないのだ。境遇、星の下。それでも嫌がるぼくの心理。手がつけられない。相対的な評価の中で、あなたの強みを言えばいいのに、その嘘すらつけない不器用な自分にうんざりする。
ぼくは純粋が故にたくさん傷ついてきた。絶対を追い求めて、相対的な評価で生きる、社会的に見れば賢い人に、諭され、馬鹿にされ、傷ついてきた。それゆえ人より捻くれるという方法でしか自己防衛できなかったと思う。けれどそのぶん弱さと向き合って生きてきた。そう思う。
凡人はいつまでたっても凡人なのだ。僕の追い求める絶対的なものは、先天的なものが大きい。けれどそれを受け入れたくはない。そういう限界が君にはあると他者に決めつけられたくない。
就職してもこのマインドを忘れることなく生きていきたいと、本当に思っている。絶対的評価を自分の中で得られる日は永遠にこない気もするけれど。
凡人でも憧れは一生無くさないで生きていきたい。沼に入ったことすら忘れないように。
何の話だかわからんまま、ここまで読んだあなたに感謝の言葉と、お前暇だなっていう憐れみを。
9.献血行った時の話
Q山手線の駅番号1番の駅はどこでしょうか
こんなこともわかるくらいには無駄知識に溢れている。
中学受験をしました。落ちたけど西日暮里にあるあの学校に行きたくてしょうがなかったんだね。12の冬。
その学校は西からくるやつらを受からせないように、東京問題を社会で出していました。今でも覚えてるからよっぽどだと思うんだけど、過去問にこういうのがありました。
Q大江戸線で都庁前駅に行くには、◯◯駅から1番線と2番線どちらに乗ればいいでしょう
とかいう問題でした。今から考えても狂ってる。答えは「どちらでもいい」です。わかるか。ナビタイム先生で十分じゃはげ。
その延長で山手線27駅全てを覚えることになったわけだ。
ちなみに僕の年は学校から見える山はどれでしょう。という東京問題もクソもなくて答えは筑波山でした。
そんなことを覚えた結果就活で生かされるっていう。ハイキングウォーキングできるな。コーラが辛すぎるけど。一発芸にしよう。
そんなこんなで4月の就活が全て終了しました。お疲れさまでした。
5月が始まりました。いらっしゃいませ。
4月は説明会より座談会だらけで、選考を受けたのが4社。うち2社はおちますた。
はよ終われしか感情がわかない。なんだリクラブとか言い出したやつ。そんな気配微塵もないぞ。まあリクラブできる人は別に就活っていう場があろうとなかろうとナンパしてるんやろうな、と。
5月。世間はGW。ぼくにも束の間のGW。なんもない。久しぶりに献血にでも行ってやろうか。
さて献血行ったことあるだろうか。ぼくは2年前の春先3月に行ってみました。
あの日は確か暇すぎて新宿の古本屋で漫画を読んでいた。「べしゃり暮らし」とか「咲」とか「インベスターZ」とかよんで、まあ楽しいわけだ。
でも足が痛くなる。怠惰な生活を続けていたから、久しぶりの生きている実感。
それと同時に虚無感。ああこの時間なんの役にも立ってないんだなと。
おれは社会のゴミになっているんだなあと漫画も頭に入らなくなってきたので、その上の献血へ行ってみることに。こんなやつの血でも欲しければどうぞと。AB型だし希少種だよね。
通されたのは広いラウンジ。長い説明の後に採血をした。
「あーあなた本当にAB型ですか?」
「え」
「どうみてもB型なんですよね」
「先生ぼくって本当に両親の子なんでしょうか←てんぱる(母親に似てなさすぎて1パーセントくらい疑ってた)」
「わたし生物苦手なんでわからないです・・・」
「」
落ち着いて考えれば父親がA母親がABなのでありえました。全然。
なんでも赤ちゃんの血の検査って適当だから、稀にこういうことがよくあるらしい。
稀によくあるって言葉が好き。
んで採血。初心者は200からやりたかったんだけど、閉館?閉店?間近で400しかなかったから、とりあえずそれで。硬め濃いめで、ライスお願いします。
「気持ち悪くなったら手をあげてくださいね〜」
(テレビあるけど、ニュース頭に入ってこないし、なんか緊張すんなあ、やっぱチクチクする)
(あーぼーっとしてきた)「すいm」
「はい!?どうしましたか(看護師わらわら集まる)」
「頭下げますね〜大丈夫ですよ〜」
「意識ありますか??意識ありますか??」
(こっ怖い怖い)
終わった後すげー謝られた。ジュースしこたまもらって帰ってきた。
やるとわかるんだけどその日は風邪ひいたみたいに、体がいちにちだるい。
帰りの電車も座らなきゃやってらんないくらい。
翌日も体重いなーくらいで。その翌々日に戻った。
まあ献血やってみて楽しかった。みなさんも知ってるだけじゃなくやることって楽しいからおすすめします
なんのはなしやねん。
(答えは大崎駅でした。 )
8.顔選考を分析してみた話
4月も中旬。来月も面接始まってねーと思うと気が滅入る。今月の給料は7千円でした。すくねーけど今の時期にはでかい。
7.「就活あるある」について
就活あるあるにハマってる。
6.文系学部卒の就活を分析してみた話
3月が終わろうとして、いよいよ4年生。