10.自分語りをしている気持ち悪い話
今日はプチ病み(闇)である。
珍しく「なにを書こう」とか思って書こうとしていないので、なに言ってるかわからないと思うし、なによりなにも伝わらない点ご了承願いたい。きょうは完全に日記だし、確実に闇(掘り返したくない過去)となること間違いない。結論もない。長い。
でもそれも含めて自分だと思う。
話は長い自分語りから始まる。
昔から、「頭がいい」ということに憧れて生きてきた。好きになるキャラクターは策士的なキャラだったし、一番好きな打順は2番だった。
ひとえに「君は頭がいい」という周りの言葉を信じて生きてきた、純粋な、わたし。
転機が訪れたのは中学受験。「頭がいい」ぼくは某中学受験塾でも最上位のクラスに所属し第1志望を目指して勉強していたが不合格。第2志望か残念だなとおもったら、そこも不合格。第3志望校に入学することになる。
劣等感を持ち中学に入学するが、まわりもそういう風に第1志望でなかった子が多く次第に薄れていき、部活に打ち込んだこともあり忘れていた。
学力は少し定期試験前は勉強して、学年で上位10%くらいだった。第3志望で入った学校だしまあたいして勉強しなくてもこれくらいはいけるなとは正直おもってた。
大学受験。リベンジを果たすため某赤門に挑戦。部活引退して学力がぐんぐん伸びて成績が伸びる。これはいける。主人公やんおれ。と。
しかしここも不合格。
胃が痛かった。よく寝ていなかったから不機嫌だったし。精神的に参って、心が折れた。
あんなに努力しても報われないことがあるのか。
失意の末浪人を考えるものの金銭的な理由をちらつかされ断念。(ここは真偽が不確かである。確かに言われたと思うんだけど、自分の中で理由を探すために捏造した可能性も大いにあるが真相は闇の中)
大学入学後6月まで、ほんとに寝て過ごす。薄れていく大学受験の知識。もう仮面浪人なんてダサいことはしてはいけない。その1点で忘れていく、戻れない道を走る自分を正当化する日々だった。そして感じたくない「自分は選ばれた人ではない。主人公ではない凡人。社会にどこでもいるようなパーツにすぎないCPU感」
大学入学後サークルとバイトに打ち込んで思考停止をする。やはり自分は「頭がいい」わけではないことを考えたくなかったんだと思う。
そして就職期。改めて思う。直面せざるをえない。
自分はなにが持ち味なんだろうと。なんもないのだ。
ぼくは自分の中でアピールできることがないことに気づいてしまった。
世間的に学歴的には申し分なく「頭がいい」ぼく。
しかしそれは目指す「頭がいい」では到底ないことに気づいている。
相対的には頭がいいだろう。頭がいいとは情報処理が早いとかそういうことだ。
でもぼくが目指していた「頭がいい」。認められたかった「頭の良さ」はそうではなかった。なんでも1度聞いたら真理がわかり、それを嫌味なく伝えられる人。要領よくなんでもこなし、なんでも知っていて、純粋なやつ。これがぼくの考える主人公だった。
相対的な「頭のよさ」をアピールすることの脆さをよくわかっている。
自分の「頭のよさ」を説明できないのだ。他人と比較してでしか。
潜在的に自分が頭いいと思ったことがないからかもしれない。
相手がいないと自らを規定できない。自分の情報処理能力は凡人のそれ。
なんて弱いしみっともないのだろう。
私立文系の就職の怖さを身をもって体感する日々。
勉強してきた人は研究を語る。ある人は私立文系を馬鹿にする。
彼らはおれらが勉強していた時間、楽に遊んでいただけじゃないかと。一理ある。
ぼくは勉強していることは素直にすごいと思う。でもだから僕たちがアピールできることがないがゆえ馬鹿にされるのは間違っていると思う。
ぼくは学術的な道を極めない以上、その研究はある程度の素養があれば誰でもできたものだと思うからだ。もちろんその人の努力や発想を馬鹿にしているわけではない。
うーん。なんて伝えればわかりやすいんだろう。
簡単に言うと、研究をしたから君たちは「頭がいい」というのは大いに間違っていると思うのだ。研究はその内容の難解さを評価されているんじゃない。どう課題にアプローチしたかを見るはずなのに、往々にして面接で内容を聞かれるからそこで馬鹿にしてくる人がたまーにいくるから少し腹が立っているだけだ。
話を戻すと、
よく世間の大人はいうのだ「いつから君は自分が主人公でないと悟ったのか」
絶対そんな大人にはなりたくなかった。でも確実にそっち側の世界に侵食されつつあり、心の中で発狂する、ぼく。世間でまぎれもなく大多数を占めるのは凡人だ。
そしてそれを統べるのは天才を気取った凡人。そして真の天才は絶対的な評価をもとにそんなことは気にせず生きている。顔本でアピールしなくても、有名な会社に入らなくても、かわいい奥さんに恵まれなくても、天才は天才なのだ。
凡人の世界に侵食された人間は、天才に憧れていたことを侵食されて忘れていく。世間的に認められているからいいじゃないか。とでもいうように。
そんな人なりたくないとぼくはそれでも思い続ける。
でも就職活動自体そんなやつらの選別作業だ。
その枠にとらわれて、もがく以上君の目指す天才にはなれないんじゃないという声が聞こえてきそうだ。そうだと思う。
思えば自分の評価はほんとに相対的なもので構成されていたのだ。
彼よりタイムが早かった、彼女よりテストの点数がよかった。彼より顔が格好よくない。
絶対的な評価で生きていることが元から無いのに、それを求めるぼく。
ジレンマの間で自らが凡人の沼に引っ張られていくことを感じる。
認めなきゃいけないんだよ。そういう言葉も聞こえて来る。
認めたくない。どうすればいいんだろう。なにがぼくの強みなんだろう。
自分の社会における存在価値なんてなんなのだろう。
もう答えはでているのだ。自らに相対的な評価をつけるしかないのだ。境遇、星の下。それでも嫌がるぼくの心理。手がつけられない。相対的な評価の中で、あなたの強みを言えばいいのに、その嘘すらつけない不器用な自分にうんざりする。
ぼくは純粋が故にたくさん傷ついてきた。絶対を追い求めて、相対的な評価で生きる、社会的に見れば賢い人に、諭され、馬鹿にされ、傷ついてきた。それゆえ人より捻くれるという方法でしか自己防衛できなかったと思う。けれどそのぶん弱さと向き合って生きてきた。そう思う。
凡人はいつまでたっても凡人なのだ。僕の追い求める絶対的なものは、先天的なものが大きい。けれどそれを受け入れたくはない。そういう限界が君にはあると他者に決めつけられたくない。
就職してもこのマインドを忘れることなく生きていきたいと、本当に思っている。絶対的評価を自分の中で得られる日は永遠にこない気もするけれど。
凡人でも憧れは一生無くさないで生きていきたい。沼に入ったことすら忘れないように。
何の話だかわからんまま、ここまで読んだあなたに感謝の言葉と、お前暇だなっていう憐れみを。